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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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 物語を創るという行為の根源は「わがまま」であると思う。
 簡単なものとしては「こういう世界がいい」とか、「こういう人生がいい」とか。
 反対に「こういう世界はいやだ」とか、「こういう人はいやだ」とか。
 何が好きで何が嫌いなのか、という嗜好から、
  こういうのがいいという「わがまま」によって、創られているのではないか、と。
 作家などはその上で「どうそれらを見せるのか」という条件を加え、
  他の人が見てもいいような形態で世に出している、ということだろうと。

 絵という分野で言えば「~が見たい」とか。

  *

 特にそれらの嗜好が顕著化するのは大人と子供の間である思春期。
 いわゆる中二病と言われるようなものは、
  世界に対するわがままが顕在化している状態のことだ、と。

 * * * 関係ない話。

 「シュルレアリスムは画家にとっての答えであり、
  見るものにとっての果てしない問いである。」
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1.ペン入れレイヤーを製作し、1本、中心から外(はみ出させる)まで「折り線」で直線を作る。
2.「制御点」の「制御点移動」で中腹を動かさないようクリックし、制御点を増やす。
3.「筆圧」で中心点と中腹点の筆圧を0にし、見えなくする。
  線の具合に満足できない場合は作り直すか「ストロークマクロ変形」で微調整。

  それで効果線の基本ができる。不安なら複製してバックアップを取っておく。

4.作った線を「ストローク複製移動」でク移動しないよう気をつけつつクリックを何度も行い、複製する。
  こうすることで全く同じ中心を持った線を大量に作ることができる。
5.適度な量増やしたら「ストロークマクロ変形」で外側の点をつかみ、扇子のように線を広げていく。
  ストロークマクロ変形では、端を維持したまま滑らかに移動することができるため、こうしたことができるわけです。

6.集中線を作り終えたら、はみ出した分を消し完成です。
  枠線がしっかりとしている場合は線を新しく作った通常レイヤーに写し、枠線内を「自動選択」で範囲選択して選択領域を反転で、はみ出した部分を消すことができます。

■ ポイント ■

 中腹に制御点をおいたのは、中心点を維持しつつ線が中心まで続かないようにするため。
 これは線で作った噴出し枠などを作りたい場合にも応用でき、制御点を増やしてそれらしい形にして複製・変形すれば、それらしい線を作ることができます。
 ただし密度が高い場合、制御する情報量が馬鹿にならないため、動作が重いと思ったら適度なタイミングで1本複製元を残して通常レイヤーに落とし込んでいこう。
 多少悪い所があろうとも気持ちを揺さぶるものがあればいい。

 気持ちを揺さぶるものがなければ、いくら悪くなかろうとも良くはならない。
 趣味とは即ち、空いた時間を使っての休息に近しい目的である。
 使える時間や意識などは限られるため、望みをもっても到達できるわけではない。

 しかし、その限られた時間によって到達できる場所は人それぞれ異なる。
 使える時間の差異、学習などの知識の差異、意欲の差異、意識の差異。
 それらの違いによって、到達できる場所は異なってくる。

 例えば趣味だけで絵を描く人といっても、どの程度描くのかは人それぞれである。
 ごく限られた仲間だけで楽しむか、あるいはより多くの人に見てもらいたいのか、
  より多くの人に認められたいのか、ただ休憩の一環として描きたいだけなのか。

   *

 惰性の意識は、どんどんと劣化していく。
 「上手くなろう」といった意識をもって取り組めば上手くなりうるが、
  そうした意識も半ばに描いていては、悪い意識が身についてしまう。

 人によっては「上手く描こう」という時期があって、
  しかしそれからその意識が薄らいでいっている場合、
  「昔の方が」といったような状態にもなりうる。
 それも、そこまで珍しい話ではないかもしれない。

 なぜそうしたことが起きるかといえば、私が思うに
  「上達のためにすべき事」が分からなくなるからである。
 初めの頃は上達のためにすべき事を調べたりして、
  必死になって上手くなろうとするが、ある程度技術を身につけると、
  それからさらに上達するために何をすればいいのか分からなくなる、
  という感じではないか、と。調べなくなる、ということもある。


 しかしながら、趣味においてそれ以上を求めるのは酷である。
 私は画風の定着に意欲的でない。
 画風の定着とは、特定の画風を描き続けられるようにすること。
 私は、特定の画風で描き続けることに意欲的でない。

 勿論私らしい描き方はあるものの、
  その描き方自体を意図的に行うことはない。
 そうなった時はあくまで、そうなってしまっただけである。

   *

 昔から「画風うんぬん」の話を聞いてきたのだが、
  それは「基本があってこそ」のものではないかと思ったからだ。
 基本的な「見る・描く」ができることが、前提ではないかと。

 「基本」ができなければ「画風の定着」はただの「癖」である。
 分かりやすく言えば、女の子しか描かないから女の子しか描けない状態。

 基本があるならば、そうした状態でも多少の練習でどうにかできるだろうが、
  基本がなければ、そうした状態から脱するのに苦労する。
 なまじ描けてしまう分描けるものしか描かなければ
  「描けない」という感覚を嫌いやすくなり、
  余計描けるものしか描こうとしなくなりうる。 
 極端な話、ごく限られたものしか描けなくなるかもしれないというのだ。

   *

 だが、かといって画風の考慮を行わないのは、不安定なだけである。

 最近ペンを持つとき、怖いことがある。
 それは、画風の考慮をしていないからかもしれない。


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