病などによって体調が悪い場合、意識も薄まりやすい。
意識によって物事を行う際、十分な濃さの意識ができず、失敗をしてしまう事も多い。
今日は、腹痛で久しく訪ねてきた知り合いの遊びに付き合えなかった。
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スポーツで天才と呼ばれるような人は、病であっても十分な意識を持っていることがある。
むしろ、無意識を引き出しているだけで、意識は薄くても問題は軽いんじゃないかとも思える。
代表例は、2006年フィギュアスケートのプルシェンコ選手。
ある時、39度の熱がありながら、華麗な演技を成し遂げていた。
本当に熱があったのかと怪しいくらいです。
細かいところまで意識を持っているのではなく、無意識にできるよう体へ刻みこんでいるのではないだろうか。
まあ、分からないけど。
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素人、は大抵、意識が備わっていない。
意識が備わっていないから、上手くできない。
絵において、私が重要だと思っている意識は[見る][描く][想う]を引き出すこと。
[見る]は様々な絵や物を見ることでイメージの意識を持つことや、描いている絵がこれで良いかどうかを見る意識。
これが備わっていないと、なぜ駄目であるのか分からなかったり、描くもののイメージが湧かなかったりする。
[描く]はただ描こうとする意識ではなく、正確な描画をする為の意識、思い通りに描くための意識。
最中というより、練習の段階で必要な意識で、あとは慣れの無意識を引き出す程度、かもしれないけど。
[想う]は第一に意識をするという意味、あと描くもののイメージをする意識や描くことのイメージの意識、考える意識。
いくら見れたり、描けたりしても、描くものをイメージしたり、デザインしたりできなければ、つまらないものになる。
私が、そう思っているだけですが。
プロなどは、その意識を経験によって意識せずとも意識している状態にあると、私は思っている。
下手な人に対して常々言いたくなる言葉は「物や絵を見ないで描けるのか?(見る)」「満足に線も描けないで思い通りに描けるのか?(描く)」「何をどう描こうとしているのか?(想う)」とかなんとか。自分にも言い聞かせる言葉なんですが。
私も特に、色をキチンと見てきていない為、そのイメージが無く、変に薄い色を使ってしまう。
だが、その上で不足しているのは[色を描くこと]で、その為の不足は[色を見ること]と、簡単な話にできる。
何が欠如しているのか、明確だ。
そうやって、[見る][描く][想う]は原因を簡潔にできる。
またそれらが大切だと想う前に、大切だと想っていたことは[ぐらうす-にーざ:http://gurous.niza.nobody.jp]の[絵講座]に描いてある。[見る描く想う]の意識の、前身のようなものだ。
何を意識すべきなのかを、描いているだけだが。
絵講座と言えば、大抵描き方、技術ばかりをのべていく。それで、見る事描く事などを促しているのだろう。
それは、それでいいと思う。 が、欠如してしまいやすくないかは、不安に思う。
それに技術に関して、私がどうこう言えるわけもない為、他の所で技術は見てもらうとして、大切だと想うことを描いた。
まあ、正直言えば、私はこんな文章を書く意識、そして時間をもっと絵に向けるべきだとは想う。
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