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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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運命と呼ばれるものの形態は、おおよそレールのようなものである。
進めるのはあくまでレール上のみ。
また分岐器で車線を変えることはできても、レールの上であることには変わりない。

そして、走行をしなければ前に進めない。
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 ゲームの難しさで比べることほど馬鹿なことはない。
 ゲームというのはいくらでも難しく出来る。
 典型的な例としては、クリアした例すらない難易度など。
 理論上可能かもしれないが、だれもクリアしていないというもの。

 ゲームとして重要なのは、まずクリアができる事。
 その次にクリアしたときに達成感の生まれえる難易度かどうか。
 丁度いい難易度かどうか。
 公正な議論は匿名でしかできない。
「争いは武器があるからだとか、貧富だとか、そういう上辺の問題じゃない。
争いの、本人他人関係なく利己的な欲を持つ人間がいるから起きる。」

人間が有史を見ても、争いの歴史を刻んできたと分かる。それは全て「利己」と言い切れる。
時には自分が生きる為のであったり、親方様の為であったりするだろうが、利己があるからこそ、争いは起き続けている。

では、欲が本当に悪いものなのか、といえば欲があるからこそ人間は文明を発達させ、技術を進歩させてきた。
ようは使い道の問題である。

だが、厄介な争いもある。
人に「特定の対象を排除する思想」を植えつけることによって起きる争い。
昔から宗教的な理由でもそうしたことは起きてきたが、科学と情報の現代においてすら、それらはあるのだ。

特に、日本も特定の国からその対象とされている。事実か、事実無根であるかどうかは学者に任せるが、どうせ決定するのは政治家だ。
例えば「特定の対象を排除する思想」を植えつけられれば、悪い事があったとしても、全てその対象のせいにすることすら可能なほど、脅威的なものであり、利己に用いることもそう困難なことでもない。

そして、それが厄介な点は、聡明で無い人間がそうした相手を見たとき、その相手とその集団に思考を向けてしまうこと。
重要なのは、それを植えつけた側がいないか、そして誰が得するのかを知ること。

***
「○○である必要ないよな」という言葉を、二次創作のパロディ作品などでたまに見る。

簡単な話だ。
それはカツカレーに「カツである必要あるの?」と言っているようなもの。
ようは嗜好である。結局、カレーでカツが食べたいからカツカレーなだけだ。


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