20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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いかに優れた哲学があろうとも、心身を制御することができなければ、無意味である。
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「・・・善悪とは、なんでしょうか?」
「ほう、善悪とは何か、かい。まあ、君にしては面白い質問だ。 そうだな・・・。 では私から質問しよう。君は、私の心の中が分かるかね?」 「え? いや、人の心の中なんて分かりませんよ。」 「そうだ、私も君の心の中は分からない。それが、善悪とは何かの答えだ。」 「人の心の中が分からないっていうのが答え、ですか・・・?」 「科学によって、いまだ生物を明確に定義することはできていない。 それは生物を構成するものを仮定することしか、いまだ出来ていないからであり、 それは即ち、生物という概念を、用いているに過ぎないのだ。 そして、概念というものは、心によって異なる形を持っている。」 「・・・つまり「善悪という概念」を、何かと定義することはできない、と。」 「仮定することはいくらでもできるがね。 現状、大多数が良い行いだと思い、そして推奨されるべき行為を善とし、 大多数が悪い行いだと思い、そして粛正されるべき行為を悪というような、 常識と言う名の仮定が用いられてはいるように。」 「そういう話ですか・・・。」 「考えても見たまえ。誰が「正義は確定している」と決めたかね? 同じように誰が「善悪は不変である」と決めたかね? そうであると望み、思い込む者はいるだろうが、所詮人間の持つ概念に過ぎない。 例えば、君は感情という現象を知っているかね?」 「感情という、現象? 感情なら・・・怒ったり、泣いたり・・・」 「いや、それは「感情によって生み出された現象」だけだよ。 現時点で最も有力とされている仮説は、「脳の活動」の一つが「感情という現象」だ。 では、君はその「感情という現象」を見ることができるかね?」 「それは、できません。」 「そうだ、それが普通の人間だ。」 「・・・結局、善悪は分からない、と。」 「人の心の中にある善悪を判断する方法など無い、という話だよ。」
「正義・・・悪・・・」
『・・・思慮の浅い人間は、いつまでもそうやって、善悪の判断を悩むものよ。 例えば機械に【赤】を識別させるとするわ。 でも、赤って何かしら? 確かに、私たちは赤という色を認識している。けれど、赤という物体が存在するわけではない。 どこまでが赤で、どこから赤でないかをどの程度に識別させたらいいのかしら? 赤の鉛筆を選ばせようとしても、まったく選べないのでは無能であるし、かといって紫から黄色まで持ってこられても欠陥を持っている。また環境によって光の色は変わるが、青を赤と認識するようで使い物にならない。 じゃあ、その【赤】のその境目はどこかしら?』 「・・・・赤色は───」 『色は「光の波長」。そして赤はそこにある、一部分とその前後を示す、単なる【言葉】よ。 善悪だって、その「光の波長」に対する色の【赤】と変わらず、「現象」に対する【感情の一部】の言葉に過ぎないわ。 しかも現象と感情は極光のように虹色で、しかもその色を見る人には千差万別の感情という色眼鏡がある。機械のように一切の妥協無く、画一的な判断をすることができない。 あなたは「赤を判別する」という単純な判断にすら戸惑ったのに、一切のとどまることの無い揺らめきである「善悪」を判断することができるかしら? それこそ、「善悪に悩む」ことすら、ばかげているとは思わない?』 「そんなことは!」 『善悪は、人が決めることによって生まれる感情に過ぎない。 そして一個人にとって最も確実な善悪は、自身の判断である。 しかし社会にとっての善悪とは他者の判断であり、確定するものではない。 ましてや、機械のようにフレームをはめることなんて出来ないのよ。 フレームをはめようとしても、それに反対するものは生まれてしまい、フレームを広げてしまえばフレームの役割を果たせない。 人間が今行えていることは、その時々に判断する、ことだけなのよ。』 「じゃあ、彼らは」 『私の出会った、ある人が言ったわ。「疑心を欠いた時、それは既に正義たりえない」と。 でも、正義のヒーローは大抵「絶対に妥協することのない正義」を持っている。それが現象と空想の違い。 だから、本当に正義であるかを疑い続けることが、正義を維持しうる唯一の方法よ。 少なくとも「未来永劫変わりえない普遍の正義」は存在しないが、「必要だから決められた正義」はある。』 「・・・決められた、正義・・・」 『原理は難しいことじゃないわ。生物が生き延びる為の基本的なことよ。 環境に応じる、状況に応じる、だからこそ生きていられる、というだけの話。 ただ、人間はそこに「感情」が入ってるからややこしく感じる。 じゃあ、感情は悪かしら?』 「・・・・」 『・・・・』 「・・・・分かりません。」 『言ったでしょう、そんなもの決まっちゃいないわ。 たとえそれを疎ましく思ったとしても、人間が幸福を感じるそれは感情なのだから、感情こそが最も重要なものである、と言うこともできる。だが、感情があるからこそ人は争うと言うこともできる。 そして、善悪を定めるのはその感情よ。』
「疑うことこそ、信ずるべきことである。」
自分で考えたり、疑ったり、答えを出そうともしないような人間は、ろくな目を見ない。 人の考え、答えにすがり、人の疑いにすがり、 人の信ずるものにすがり、心すべてを他者にすがり、 それが本当に人であるか疑わしいとすら思う。 自身のことを最も知りうるものは、自身しかいないのに。
. 民主主義の政治は、選ぶ政治ではない。
. 民主主義の政治とは、監視する政治である。 . . 監視していなければいけない政治である。 . . よく見も調べも聞きもせず、果ては考えもせず、 . 民主主義の政治が行われれば、国は傾きうる |
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