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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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「盲目的に、国会議員は国の為に尽くしてくれるなどと思い込むな。
そう、果たして誰が「見て」、誰が国の為に尽くしてくれると決めた?
残念ながら、ほとんどの国民は見てすらいない。見ていないのに、
確認すらしていないのに、国の為に尽くすものに選りすぐられていると、なぜ分かる?
それを確認する為の機関があるなどと言うのならば、誰がそれを確認した?
本当にそれが公平であるということを、誰が確認したか。
残念ながら、細密な確認だとなされてなどいないし、公平であると決められてなどいない。
公平でなければならないという法律はあるが、それを守っていなければ意味が無い。
さらに公平であるないの問題に決定的な証拠を出すことは、困難であることも知っているだろうか?
そう、その機関が「現在」、公平である確固たる保証は残念なことに存在しないのだ。
公平であろうとする機関もいるが、故意に不公平である機関もいることを知り、

本当にそうであるかを自らで調べ、考えることが重要なことである。


自らの目で見て、自らで考えることが、何より重要である。
そして、受け入れられるものを、選ぶのだ。」

*****

これが、私の信仰する疑心だ。

救済者などと自らを謳い、「私に任せれば」という者は有史以来いくらでもいる。
そして、それにすがる者もまた多くいる。 それはなぜか?

現在への許容と、そして疑心を持たないからである。

現在を拒絶しながら、その拒絶に大した疑心も持たない。
そこに、その拒絶を肯定する疑心を与えない超常現象を騙る者が現れれば、人は転ぶのだ。

もし現在の陸地がなぜか嫌で、そこにイカダを持った者が現れれば、人はそのイカダに乗るのだ。たとえ、そのイカダの行き先がどことも分からずとも、イカダの木が腐っていようとも。
なぜ嫌なのかよく考えもせずに、人は泥舟すら乗りうるのだ。

断っておくが「疑心への信仰」は、これらを「肯定・同意」することで始まることはない。
これらに対しても「疑心」を有してこそ、「疑心への信仰」は始まるのである。


そして私は、疑心によって一切疑えなくなったものを、許容する。
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「過去に起きた過ちを知らない者は、同じ過ちを繰り返す。」
「受け入れられるようなものでないのに、なぜ受け入れることを強要する?」
信じるという行為そのものは、善でもなく、悪でもない。

ただ「最初から疑わない」ということを、
私は極めて悪いものと考えている。

盲目の恐ろしさを、思うからだ。
「この国の持っている、外への多大なる影響力を見ると、
もし、この国の代わりとなるものもないままに、
この国が滅んだとしたら、世界は大きく後退するだろうと、思ってしまう。
自尊心も含まれているが少なくとも、事がただ小さく済むことはありえない。」


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