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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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(2の続き)
 私は感情を可能なかぎり抑えた思考を行うことができる。そう思っているだけだが。
 例えば感情の原因は全てその感情を持った人の中にある。いかに他者へ嫌悪をもよおそうともそれはあくまでも勝手に嫌悪をもよおしただけであり、あくまでも感情の原因は自身がそう思ったからにすぎないということだ。

 感情は制御することができる。その感情の管理者は本人に他ならない。管理もしていない獰猛な獣の苦情を他者に当てるなど非論理的ではないだろうか。
 感情は保護されるべきものであるが、絶対の法とはなりえない。もし感情が絶対の法となってしまったのなら世界は阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈するだろう。社会には罪に対して罰を与える仕組みはあり、その根本は感情によるものかもしれないが、その運営の大部分は感情によって成り立っているものではない。
 もちろん、最低限は保護されるべきであるとも思うが、それらは社会の裁量に任せられている。つまり人を動かす人間がそうしたものを決めるのだ。

 人間社会を支配するのは人を動かせる人間である。権力や財力などといったものばかりではなく、説得力、求心力もまた人を動かす。こと現代においては民主主義という人の心を動かせるものこそが正義という仕組みを用いている国家も多い。ただしそうした民主主義による政治であっても国民が納得できる政治とは限らない。
 民主政において言えば、本当に民主的な政治のためには国民の多くがより政治に対して議論を交わせるような必要がある。そうでなければ国民は政治家や報道の言動によって制御された票の塊でしかなく、そこにあるのは民主主義という名を掲げた多数派主義ではないだろうか。
 民主的な統制における最大の要素とは集団における全員の意思を合わせて考えるというものであり、つまり話し合いや議論によってするべき事を決定するという手法である。しかし現実的に全員が全員話しあうことは不可能であり、またそうであっても極少数の意見が日の目をみることは滅多にない。ほとんどの民主制においては多数決によって代表者をたてることによって議論を行う者を選ばせ、その議員達によって議会を形成し多数決によって国政を行う代議制の民主政が一般的である。
 そうした民主政における多数決とはあくまでも折り合いをつけるためのものであり、本来であれば最大限議論を尽くして決定することが望ましいのではないだろうか。そう思うため議論や思慮の伴わない多数決による政治を多数派主義と呼んだのである。ただし、私はそうしたものの解決方法などを知らないが、教育を調整する必要があるとは思う。
 国民が納得できるのであれば民主政である必要性は無く、納得させるために民主政を用いているに過ぎない。納得できるとも限らないが、選択肢を与えているという言い訳があり言い逃れはできてしまうのである。
 もし納得できないのであれば、何かしらの手段を講じればいい。人間社会なのだから、人を動かし人を集め、より多くの人間を動かしてしまえばいい。それが人間なのだから。あるいは諦めてもいいだろう。

 人によっては他者を満足させることによって自らもまた満足するということもある。そのように人助けなどを生きがいとしている人もいるのだが、それを装って商売をしている人もいるだろう。例えば動物保護といったものもまた現実的な方法を考慮する団体もあれば、感情を武器に非論理的な言動を振り回す団体もあり、それらは一概に何が何々などと言うことはできない。
 本当に多くの人間を救った人もいれば、金を集めているだけの人間もいる。しかし人間はそうして社会を形成し、たくましく生きているのだ。特に利口な人間は理不尽すらも利用し、自身の感情すら利用するだろう。

 改めて言うが、感情は制御することができる。そして感情の管理者はその本人に他ならない。より良く生きたいのであれば感情をうまくコントロールし、不要な心労をしないよう心がけるほうが望ましいだろう。
 どうしてもどうにかしたいのであれば社会の仕組みを知り、どのようにすればいいのか考え実行すればいい。それすらしようとしないのであれば、子供のようなわがままでしかない。何かを欲するのであればその為の行動を思慮し行動しなければ得られると思うべきではないのだから。
 もし感情を制御しようともせず、子供よりも子供のように何から何までわがままな感情をぶつけるというのであれば、そんな人間なんてほとんどの人は納得したくないだろうし他者から批難されて然るべき言動であると言うだろう。

 例えばお金が欲しいのならばお金について考える必要がある。働いて入ってくるお金はたかが知れており、働くことしか考えないのであれば、お金は相応にも得られないこともありうる。
 自分で考えられないのであれば人に聞いたり調べるという方法もある。
 何もしないわがままなど子供以下だ。
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