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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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(5の続き)
 私は前述したとおり、善悪は左右のようなものだと思っている。その思考は何より世界に定まった意味などないのだというところから来ている。
 神がいないとすれば世界の意味はただ人が勝手に決めているだけであり、そんな神はいないと思うからだ。
 説明の順序が逆になってしまっているが、だから善悪は左右のようなものだと言ったのである。

 世界の原理は研究によって調べることはできるが、世界そのものに意図は無いのである。少なくとも、今現在人が知ることのできる意味はまだ無い。
 もし人間が世界の全てを解明したとしても、そこに絶対なる意味があるには神と呼ぶべき存在がいなければならない。それがいなければ世界は無意味であることを証明するだけであり、人間は虚しい意味をつけくわえて納得しようとするだろう。
 ただ人間の欲する意味が世界に無いのなら、本当の意味すらもかなぐり捨てようとするだろうが。それが人間というものである。

 人はみな自分勝手であると言うが、それはそれぞれの心がそれぞれの方法で納得しようとするためであり、なんら不思議でもないことだ。
 だがその心に際限がなければ、死ぬまで渇望し続けて永遠に満たされることはないだろう。人によってはそんな納得できないことをやめさせようともするだろう。
 それが人間であり、そうして築かれたのが人間社会というものである。善悪などそのための言葉に過ぎず、正しいと思うことも間違いと思うこともそのための挙動に過ぎない。

 神がいなければ世界は無意味であり、その神を知ったものなどいない。ただ人が意味を求め決めているだけであり、人のいう神もそのための言葉でしかないのだ。
 顕微鏡で見える世界は仕組みだけだ。そこに絶対の意味はなく、人が意味を思う。もっと言えば人類はそれを仮定し続ける。
 だがそれは私がそう思いたいからではなく、私にはそうとしか見えないからである。だから私は、人にとっては心が全てだと言うのだ。

 人間にとって意味が無いというのは、何の色も形も音も無いようなもの。触れられることすらしない空虚のようであり、それが世界の姿であるとするならば人はそれを認めないだろう。つまり人がそれを認めないのだから、人にとってそれは間違いなのである。
 ならば人にとっての世界の意味とはなんだろうか。私には分からない。それは個々人の心にあるものであり、そして私の心には無い。私がそれを理解することもできないかもしれない。
 例えば宗教などは意味を決める方法を一つだが、私はそれらに人間的な意味しか感じ取ることはできない。言ってしまえば空想であり事実とはいいがたいものだが、人はそれを事実であると信じようとすることもなんら不思議とは思わない。人間にはそれが必要となるのだから。

 またどんな意味を求めようともかまわないのだろうが、少なくとも冷静であるべきである。例えば規律や人道を無視するような意味は他者から批判されて当然であるのだから、そうした意味を貫こうとしても苦難を伴うばかりだ。それが重大な意味だと思うのであれば貫くこともいいかもしれないが、それが他者に認められるかどうかは別なのだから。あくまで仮定にすぎないのだから。
 と言っても、意味を考えつかない人もいるだろう。人生の目的が分からなくなるというのは大抵元々人生の目的を決めていなかったり、一つ二つに限ってそれをなくしたりしてしまったものだろうし、人生について考えることの少ない人がそうした悩みを持つことは当然である。だが、そうした心の迷いにつけこんだ宗教もあるため、心と共に足元をすくわれないように何かしら頼れるものを持っておくべきだ。人でも神でも仏でも。
 例え空虚なものであったとしても、根拠のないものであったとしても、それを根拠として生きることはできるのである。誰しも何にも頼ることなく生きられるほど強くはなく、人は何かしらの根拠や意味を必要とするのだから。
 ただし心を蝕まれてしまわないように。もちろん無闇に心を蝕むようなことはしないように。

 しかし心がいくら必要としようとも世界に意味はない。人が決めているだけである。
 人間にとっての意味はありえるが、それは人が勝手に決めるものであり絶対的な意味などありえない。それぞれが勝手に決めてしまうものであって、無理に統一されるべきものでもないだろう。
 ただ唯一共通させるべきものを上げるとするならば、心のためにあることを望む。

 自らの心だけでなく他者の心のためにも。
 人間はそのために生きているのだから。
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