20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
戦争において、敵勢力の殺害を行うのはなぜか。
それは、対抗勢力の無力化において、効果的かつ確実な方法が殺害だからである。 それは個人の無力化ばかりでなく、圧倒的武力を示せれば、 敵勢力自体の士気を低下させ、結果弱体化し、無力化も容易になる。 だが、それは殺害よりも効果的な方法が無い為であり、 殺害よりも確実かつ効果的な「鎮圧兵器」があれば、殺害など必要ない。 そして、殺害の代わりとなりえるような兵器はまだ存在しない。 PR
民主主義政治は「議会」と「多数決」によって行われる政治のことである。
それは、しっかりとした「議論」の上で、「多数決」を用いなければならない政治だ。 にも関わらず、なんだろう、あの民主の名のみを冠したあの党は。 経済危機にも関わらず審議の拒否、即ち「議会の拒否」を「多数決」によって行った他、 他者に改善を求める発言を出しながら議会を用いず、自らに対する議論は論点をすり替え、 「印象」ばかり打ち出し、とても正常な、いや現実的な民主主義政治ではない。 現実的な話には論点を変え、妄想のような中身を印象だけで話しているのだ。 多数決によってまともな議論をしないなど、「多数決による独裁」である。 まあ、もっと恐ろしいことは、それを知らない人の方が多いことだが。 そんな状態での政治を民主主義とよく呼べるものだとすら思う。 第一党がダメであろうと、それ以外はほとんどが「論外」。 この国は、あまりにも政治に関わろうとする人間の絶対数が少なすぎる。 だから利権を狙う妙な団体の相対量が増え、まともな議員も少なくなる。 政治の責任は政治家を選んだ、国民の責任でもある。 知らぬ存ぜぬといっても、「権利」が与えられているのだから、 選択しないという選択を選んでも、その選択を選んだ責任はある。 その結果が今の惨状。 月末は見ものだわ。
「純粋な民主主義とは、国民全員が十分な情報を持って思慮し、
そしてそれらによる判断を行えて、なんとか成り立ちうるものである。」 少なくとも、偏重した情報とわずかの思慮をも持たないのは、傀儡の民主主義でしかない。 国民が傀儡の、傀儡政権だね。
「大きな変化には痛みを伴う。
それが本当にあるべき変化であるか、 本当に耐えなければならない痛みなのか、考えなければならない。 そして、必要な変化の痛みは耐えなければならない。」
あれだけマスコミに媚売ってる党なんだから、勝ったらマスコミも
悪いことは全部「前政権の弊害」と、良いことは全部「政権の成果」って言ってくれることだろうね。 もちろん、詳しいことを言わなければ、国民は本当にそうかなんて分からないしね。 |
P R
カレンダー
カテゴリー
ブログ内検索
カウンター
|