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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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「正義・・・悪・・・」
『・・・思慮の浅い人間は、いつまでもそうやって、善悪の判断を悩むものよ。
例えば機械に【】を識別させるとするわ。
でも、赤って何かしら? 確かに、私たちは赤という色を認識している。けれど、赤という物体が存在するわけではない。
どこまでが赤で、どこから赤でないかをどの程度に識別させたらいいのかしら?
赤の鉛筆を選ばせようとしても、まったく選べないのでは無能であるし、かといって紫から黄色まで持ってこられても欠陥を持っている。また環境によって光の色は変わるが、青を赤と認識するようで使い物にならない。
じゃあ、その【】のその境目はどこかしら?』
「・・・・赤色は───」
『色は「光の波長」。そして赤はそこにある、一部分とその前後を示す、単なる【言葉】よ。
善悪だって、その「光の波長」に対する色の【】と変わらず、「現象」に対する【感情の一部】の言葉に過ぎないわ。
しかも現象と感情は極光のように虹色で、しかもその色を見る人には千差万別の感情という色眼鏡がある。機械のように一切の妥協無く、画一的な判断をすることができない。
あなたは「赤を判別する」という単純な判断にすら戸惑ったのに、一切のとどまることの無い揺らめきである「善悪」を判断することができるかしら? それこそ、「善悪に悩む」ことすら、ばかげているとは思わない?』

「そんなことは!」
『善悪は、人が決めることによって生まれる感情に過ぎない。
そして一個人にとって最も確実な善悪は、自身の判断である。
しかし社会にとっての善悪とは他者の判断であり、確定するものではない。
ましてや、機械のようにフレームをはめることなんて出来ないのよ。 フレームをはめようとしても、それに反対するものは生まれてしまい、フレームを広げてしまえばフレームの役割を果たせない。
人間が今行えていることは、その時々に判断する、ことだけなのよ。』

「じゃあ、彼らは」
『私の出会った、ある人が言ったわ。「疑心を欠いた時、それは既に正義たりえない」と。
でも、正義のヒーローは大抵「絶対に妥協することのない正義」を持っている。それが現象と空想の違い。
だから、本当に正義であるかを疑い続けることが、正義を維持しうる唯一の方法よ。
少なくとも「未来永劫変わりえない普遍の正義」は存在しないが、「必要だから決められた正義」はある。』
「・・・決められた、正義・・・」
『原理は難しいことじゃないわ。生物が生き延びる為の基本的なことよ。
環境に応じる、状況に応じる、だからこそ生きていられる、というだけの話。
ただ、人間はそこに「感情」が入ってるからややこしく感じる。
じゃあ、感情は悪かしら?』
「・・・・」
『・・・・』
「・・・・分かりません。」
『言ったでしょう、そんなもの決まっちゃいないわ。
たとえそれを疎ましく思ったとしても、人間が幸福を感じるそれは感情なのだから、感情こそが最も重要なものである、と言うこともできる。だが、感情があるからこそ人は争うと言うこともできる。
そして、善悪を定めるのはその感情よ。』
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