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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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アレ。pixivのキャプションの話。
アレに何にも書いてない人がいるけど、あれって2通りの理由があると思うんだ。
1つは効果としてのキャプションに文字を不要とした場合。
もう1つは別にキャプションとして書くことが浮かばない場合。
キャプションを、必要として空白にすることと不要として空白にすることの違い。
キャプションを作品の一部と捉えているか、キャプションに興味がないのか、みたいな違い。
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「少なくとも、行動が無くてはなにもできない。」
 体の仕組みに思ったこと。

   *

 体は毎日少しずつ新しい細胞が生まれ古い細胞と入れ替わっている。
 常に体の変化に気を向けておかなければ、意識と動作に差異が生じやすくなる。常に体は変化しているのだから、それに合わせなければというのは当然の話だ。

 ブランクによって感覚を失う、また感覚を取り戻すというのは、そうした体の変化によって失い、また失われた部分が補われたということである。またそれらは肉や骨に限らず、神経や脳も含まれると思う。
 毎日のように行っていれば失われている部分も少なく無意識に補えるが。


 細胞なんて話で分からない場合は想像してみてほしい。
 スポーツチームで毎日のように新人が一人入っては古参が一人抜けていく場合どうなるだろうか。毎日では極端だが、毎週でもいい。そんなチームの場合、チーム内の意思疎通、チームワークに力を入れなければ、チームとしてバラバラになりやすいだろう。
 そこに一月や半年のブランクがあったとしたら?  古いメンバーが持っていた技術や知識なども引き継げず、真新しいチームで再出発することになる。

 もちろん人間はそこまで極端なものではないし、脳という司令塔(チームでいえば監督)が大半の知識を持っているし、何より体は脳の命令で動く。
 だが高い技術を維持し続ける為には身体の変化を毎日修正できるくらい、し続ける必要があるのだ。ただ技術がない場合はそれを得る為にし続ける必要もあるが。

   *

 し続けることができる意識をもつ人間は、
  それだけでも高い素質を持っているのである。
 必要としながらし続けられないのならば、
  し続けようとしなければならない。
 例えば「バラ」を漢字で書けといわれても、書ける人は限られている。そして、書ける人はその漢字を良く見て練習しているような人ばかりである。
 だが、そのバラという漢字を読むことにできる人は、書ける人よりもはるかに多い。
 なぜなら「読む」ために必要な意識と「書く」ために必要な意識は重なる所はあれども別々の意識だからである。

 大きく形態は異なるが、これは絵に関しても言えることである。
 「見る」意識はあれども「描く」意識が無いというのはバラの話に近い。
 「良し悪しの意識」があるため全く同じ話ではないし、もちろん一定の形を描画する漢字であれば多少の練習で身につけることもできるが、ある程度一定でかなり不定の描画を行わなければいけない絵の場合、意識と練習がなければ身につけることはできない、といった違いはあるが。
 少なくとも「感じるために見る意識」と「描くために見る意識」は異なるのだ。
 才能と呼ばれる技能そのものが、最初から身についているはずはない。
 例えば最初から身についているのだとしたら、何もない部屋で育てられてもそれができてしまうことになり、ではその知識をどこから得たのか? 遺伝子か? 遺伝子でそうしたことが最初から身についているのであれば、なぜ言葉などは学習しなければ身につかないのか。
 最初から身についているはずはないのだ。

 人間に備わっている「先天的な才能」と呼びうるものは基本的な能力である。
 脳の構成、筋肉の質、内臓の状態うんぬんは「遺伝子」のものから生成しており、親子や兄弟で能力が似通うのはそうした遺伝子の優劣とも言われうるそれならば「先天的な才能」と呼びうるだろう。
 ただし本当に良いのか悪いのかは目に見えてでる能力は「後天的な才能」によって左右されるため同じ条件で比べなければ単純な比較はできないし、能力においてどこまでか後天的でどこまでが先天的なのかは目に見える単純なことしか分からない。
 ちなみに「後天的な才能」とは「環境」であり、特に影響を受けやすいといわれる幼少期の環境のことを指す。ただし目に見えた能力を表すのは、それからしばらくしてからであるため、それらやそれらの方法を単純に知ることはできない。

 また幼少期を過ぎても目に見えた能力が無いからといって、「無い」と断ずるのは単純すぎる。多少の技術的なことであれば意識(主に意志と知識)によって補い、それを満たすこともありうるだろう。
 分かりやすくいえば「あなたは人間の何を知っているのですか?」ということである。

   *

 はぁ。


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