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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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 「ハザマさん? そのバケツ一杯のサイコロは何?」
 「このサイコロにまつわる問題だ、テルナ君。」
 「はぁ・・・・」
 「この1・2・3・4・5・6の面がある6面ダイスで、
  一度に1から6まで全ての数字を出すために必要な最低限の数は?」
 「確率を無視しているなら6面で6個でしょ。確率は1%とかだけど。」
 「では【確実に】1から6を出す場合の必要な数は?」
 「沢山。」
 「あっはは。そっけないねぇ。」
 「どうせ100%はありえないでしょ? ほぼ100%はできてもさ。」
 「まあその通りだけど。」
 「それで何の話?」
 「では、600個のサイコロを一度に転がし、
  1・2・3・4・5・6の組み合わせをまとめたとき、
  組み合わせた数と組み合わなかった数のどちらが多くなりやすい?」
 「・・・・組み合わせた数?」

 「さてどちらかな。」
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 発達障害の本と一緒に買った同著者の本を読んでいる。
 まだ途中だが、私なりの表現をメモしておく。

   *

 そこで書かれていた人格障害のことは、
  発達障害における自閉症スペクトラムとは反対に属しているように感じた。
 認識において自らの意思が反映されすぎているように思えたからだ。

 スペクトラムについて「認識において無意識の制限や制御が乏しく、
  正確すぎるために弊害が起きているのではないか」といったことの反対で、
 人格障害における根本は「認識における無意識の制限と制御が強すぎて、
  情報が自己の無意識に頼りすぎたものになってしまっているのではないか」と。
 つまり「認識が情報に忠実すぎる」のと「認識が自己に忠実すぎる」のなのではと。

 まあ私の想像でしかないが。

   *

 ちなみに私にも適合する点が少なからずある。
 かと言って、ドンピシャなんてわけじゃない。

   *
■追記

 そういえば、私の提示した想像の根本にそった場合、
  「自己の無意識」が「正常と呼ばれうるもの」でさえあれば、
  それらが問題として外部へ顕現することは滅多にないことになる。
 それは持っていなければならないとされる能力が過多なだけであって、
  反対の自閉症スペクトラムはそれが欠けている以上、問題となってしまう。

 そう考えた場合に限られるが、
  人格障害とされる人々の持つ普遍的な「障害」があるとした場合、
  その「障害」を有している人は人格障害とされる人よりも多い可能性が高い。
 ただそれが問題として顕在化しないために、「障害とされない」だけであって、
  その傾向を内包しながら正常な生活を送れていることもありうる、と。


 かなり乱暴な話をすると、
  異常な・正常な・健常な・病的なということらはあくまで「社会基準」であり、
  「社会的に、または生活に問題とされる人格」は「障害」に当てはまりうるため、
  何かしら問題がある場合、それら全てが「障害」と決められうる。
 現在扱われているものは、それくらいまだまだ不明瞭なもので、
  できることはあくまで治したいと願う人を補助する程度だそうな。


■追記05/11
 無意識が強い弱いと、無意識の傾向だから反対というわけでもないか。
 本を読んでいて思ったのが、第一に「私には当てはまらない」ということ。
 ただ似たような状態の記憶はあるが、数例に過ぎない。

  *

 次に、それらの症状がまるで「機械に自我を与えたような状態」に思えること。
 単純に従順だとかという意味ではない。

 まず機械、コンピューターは「プログラム」以外のことを行うことが困難である。
 もし機械として自我を持った場合、プログラム以外の事を理解しないし、
  プログラムに当てはまらないことや急な変更を本能的に嫌うだろう、と。
 そして、その時の伝え方はコンピューターではなく生物としての動作。
 容易に新しい命令を認識できるのであれば、
  動作のプログラムだけなら徐々に変えていくことはできる。
 環境から必要と思う情報を読み取っていき、
  自らの「プログラム」にそって生きることになるが
  最初は自我以外真っ白の状態である。

 フィーリングなどもそれ用のプログラムを作らなければ通じないから、
  そのプログラムが無い場合それがどういう状態なのかを理解できない。
 もちろん自我として意識を有しているため、喜びもすれば苦しみもするが、
  その状態がなんであるのかを理解する為にはプログラムが必要となる。
 少なくとも好きなことをしたいという意思は持っている。

 人間として必要なことのプログラムが無ければそれを守れないが、
  反対に言えば、必要なプログラムさえあればそれを誠実に守ろうとする。
 ただし、最初から素直で従順であるかといえばもちろん別で、
  それが必要だと言う意識(プログラム)が無ければ従順であることもできない。
 そして、プログラムを入れられるかどうかは、
  周りが誠実にその人を想わなければとても困難である。

 認識において機械のような正確さを持ちやすいが、
  反面ノイズの除去や情報の選択などに難を持っており、
  想像などによって状態を補完する能力には欠けてしまう。
 状態の度合いによってその強さは異なるが、
  それが強すぎるとプログラムの習得にも支障が生じる。
 そうでなくともプログラムを習得するには、一般的に使われているような
  あいまいな表現やあやふやな言葉でなく、具体的な言葉でなければならない。

 可能な限り、
  社会において必要なことを身に付けられるよう補助してやらなければ、
  いつまでも社会において生きることが困難のままになる。

   *

 という風に、その本から私は感じた。

 こうした想像力だとかがあるんだからスペクトラムには入ってないと想いたい。
 ただそれに似た性質をわずかながら有している点は否定できない。
 「武術の技術は2つに分けられる。
 相手の攻撃を直撃させない技術と相手へ効果的な攻撃を与える技術だ。

 相手の攻撃を直撃させない技術とは相手の攻撃を御すこと。
 避ける流す止める弾くなど、相手から効果的な攻撃を受けないことである。

 その技術が無ければそれ以外はいかなる技術も無駄だ。
 身を守れてこそ、攻撃に転じられるのだから。」




 『面白い話をしてるわね。』
 「ああ、ヴィクスさんはどう考えます? 時間旅行(タイムリープ)について。」
 「タイムパラドックスとか分けわかんなくて。」
 『空想に漬かってるあなた達にとってはかもしれないけど、
  タイムリープのできる環境というものを考えたことは?』
 「できる環境?」「と言うと?」
 『時間旅行の為に必要なものは何かしら。タイムマシンの以前に。』
 「タイムマシンの以前・・・」「えー・・・」
 『世界五分前仮説は知らない?』
 「世界五分前仮説? なんですかそれ。」
 「ああ知ってます。世界は4、5分前にまるで過去があるかのように
  創造されたかもしれないって仮説でしたよね。」
 『もし、そんな世界だった場合、それより前にタイムリープはできるかしら?』
 「うぇ? 過去が無いんですよね・・・。」
 「だったら・・・ああ!」
 『ふふ、そっちは何か分かったみたいね。』
 「どういうこと?」
 「世界に過去がないと過去にいけないってことだよ。」
 「ああー、ええー?」
 『ありもしないところへはいけないわよ。だから、元々なければいけないの。』
 「うーん、なるほど・・・」
 「じゃあ、タイムパラドックスは?」
 『過去がないと過去にいけないのと同様に、
  タイムパラドックスの起きる可能性のある過去でないと、起きないわ。』
 「そういうものなのかー?」
 「起きる可能性ってなんですか。」
 『タイムパラドックスの起きる原因は何かしら。』
 「それがわからないんですよ。」
 「それが知りたいです。」
 『じゃあ、10分前の過去に行って自分を殺したら、自分はどうなるかしら?』
 「ええっ、10分前の自分が死んでるんだから」
 「自分を殺す自分が・・・」
 『それがタイムパラドックスの一種。
  ではなぜタイムパラドックスが起きるのか?』
 「ううーん・・・」
 「自分が・・・自分を・・・・」
 『そうね、さっきの話でなぜ「自分が死んでいる」のか。』
 「それは自分で殺したからで、ええ?」
 「でも自分が死んでいると、自分を殺す自分が・・・」
 『なぜ同じ自分なのかしら?』
 「それは、10分前に戻って・・・」
 「過去の自分の10分後が、今の自分じゃ・・・あれ?」
 「あ、そうか。なんで同じ自分なんだ。」
 「へ?」
 『それがタイムパラドックスの起きる原因よ。』
 「どういうことよ。」
 「過去の自分という存在と、今の自分という存在が繋がっているから
  タイムパラドックスが起きるのであって、それぞれが繋がってなければ、
  自分が殺された世界と自分を殺した自分の世界が別々であれば起きない。」
 「別々の世界って、ん、あれ?」
 『往年の時間旅行では話に深みを持たせるため意図的に盛り込んでいるけど、
  パラドックスが成立するという事はその危険が最初からある世界であって、
  最初から『現代の世界』以外に『過去という状態と名前の世界』があれば、
  タイムパラドックスは起きずただ世界の歩み方が変わるだけ。』
 「なるほど。」
 「あれ? じゃあその過去の世界にいったとしても・・・。」
 『いいところに気づいたわね。』
 「いったとしても?」
 「現代からの過去と全く同じっていう保障がなくなるよねって。」
 「え。 ああ! 他の誰かがその前に世界を変えていれば、」
 『まあ、それこそはありとあらゆる可能性が含まれているから、
  ほぼ同じ現代であっても、全く歴史の違う世界だって生まれちゃうわ。
  それこそ幾兆通りもの世界が全て違う世界になってしまう可能性もある。
  そこに歴史を管理している者でもないかぎり、ね。』
 「ははー・・・。」
 「なるほどねー。」


 『ちなみに、過去という世界が無くて同じ世界でも
  タイムパラドックスが起きない時間旅行もあるわ。』
 「どんな方法ですか?」
 「あ、はいはい!」
 『はいどうぞ。』
 「世界を過去に戻してしまう!」
 「なにそれ」
 『正解。 現在から【自分以外を過去の状態へ戻してしまえば】
  第三者から「現代からその人以外が過去に一度戻った」という状態に見え
  本来の歴史も【○○の時間に××の時間まで状態が戻った】だけで、
  そんな過去に戻したという現象をもさかのぼることができる状態なわけ。』

 「まあ、そんなことできるのはヴィクスさんくらいでしょうけど」
 『あら、私にもできないことはあるわよ。』
 「流石のヴィクスさんでも無理かー」


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