忍者ブログ
20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
[155] [154] [153] [152] [151] [150] [149] [148] [147] [146] [145]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 結局、宗教は心を安定、と言うか安心するために作られたもんなわけで、心が揺らぐ時など頼れる場所があれば、みょうちくりんな場所、泥舟やら薄氷の上やらに誘い込まれることも少ないわけです。
 なぜって、宗教における大義のほとんどは、安心しましょ、っていう話であって、物を巻き上げるだとか、金を巻き上げるだとかの話ではない。

 お金を不浄なんていう人は、お金というシステムが、どれだけの問題を起こらない状態にしてきたか、考え直すべきです。
 お金と言う価値が普遍的に大体決まっているものを、物々交換することによって、経済はスムーズに流れるわけです。
 経済がスムーズに流れるからこそ、社会というものは安定してなりたつわけで。ただし、それの持つ影響力は、確かに大きいものです。
 まあ、世界同時不況なんていう昨今でも、お金と言うシステムが悪いのではなく、盲目的に大量のそれを扱っていたバカが引き起こしただけ。大きなお金は問題になりやすいから。


 日本人が受験前、神社やらお寺やらに、合格祈願をするのも安心して受験へ望む為の手助けなわけで、それで合格するかと言えば、精神的なミスを減らす程度の効果しかないはずです。
 その効果が、合格するのに重要な人もいるでしょうが。まあ精神的な問題は、諸問題に繋がりうるので、その問題を取り除くことは大切と言えば大切です。

 宗教が助けようとしたのは、どうせ心だけなんですから。
 と言うより、どうせ宗教そのものが助けられるのは心だけなんですから。

 お布施、賽銭なども、何かしらの感謝を行うという習慣みたいな部分から、富の過分から感じる心の荷を和らげるみたいな部分くらい。何かどうかでなく、心の問題です。
 また例えば、人を助けることが生きがいで、それを人生に捧げている人が困っているならば、助けたいとも思えるものですが、人から物を貰い、何も与えないなんていう人が困っていても、自分でどうにかしろと思いたくもなる、と私は思うわけですよ。自分の耳が痛いですが。
 ま、私の思い方を言うならば、己の不手際だけで己に問題が出ていたとしても、己が作った問題だと、自分で解決せいと思いたくなります。でも、己の作った問題でないのならば、手助けぐらいしたいものだわさ、ねえ。
 「己の説法で耳を痛める。」ような状態ですがね。

   *

 と、私は思うんですが。
 と、私は思うんです。
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
P R
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新コメント
[05/17 菅原Andil]
[05/16 菅原Andil]
[03/20 菅原Andil]
[03/19 菅原Andil]
最新記事
(10/12)
(09/16)
(09/06)
(07/04)
(06/01)
プロフィール
HN:
Andil.dimerk
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1991/03/02
ブログ内検索
カウンター