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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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自らの中で完結できるほど、世界、社会は単純でない。


複数の視点をもって考慮するにしても、人間は意識に限界を持っている。
つまり必ず「欠けてしまう考慮」が存在しえることであり、
人間はそれを「会議」などによって補うことで対処をしている。

それが民主主義政府における、「議会」の役割である。
その為「議会」は、Yes/Noの「多数決」に縛られるようであってはいけない。
Yes/Noに縛られた場合、示してはならない考慮が暗黙に作られてしまい、
考慮の欠如による問題発生の可能性を高めてしまうものである。

もちろん「議会」において、論理性の欠いた考慮を用いる事は、
議会の停滞、決定の遅延を招きかねない為、避けるべき行為であり、
そうした考慮を行うような輩を落とす為の「ふるい」が、「選挙」である。

「選挙」は、そうした役割を持つもののはず、
と言うより、そうでなければならないと私は思っている。
だが、昨今の選挙を見る限り、国民は「人を選ぶ」のではなく
「Yes/No」を決めているに過ぎないようにしか見えない。
むしろ「Yes」を決めているようにしか見えなかった。

残念なことに議員の「ふるい」は「選挙」以外にほとんど無い。
全く盲目的に選んでいるなどとは思わないし、信じくないが、
それらを選別するのは「国民の判断」である。


もし「議会」が機能を果たさず、「自己完結的決定」のみで行政が行われる場合、
その行政が正常な機能を果たさない危険度は、高く見積もることができてしまう。
もちろん、党の自己完結であっても、その党内部で会議が行われているのならば、
いくらか危険度の見積もりも下がるだろうが、
個人の自己完結が党の決定となるような状態は、危険極まりない。

そうしたことも考慮しなければならないのが「国民」である。
そして政府の問題は、選んだ「国民の責任」でもある。

*****

で思ったのですが、失敗した時とかは
「責任をとらなければならない」なんて言うけど、
どう責任を取るの? って疑問があるわけです。

特に、行政的な責任は、どうやって果たすの?
党の責任であれば、代表の辞任だとかでいいよ。党の問題だもんね。
でも、行政によって多大なる問題が起きた場合、どう責任をとるの?

個人が失敗をしたら会社や親族などが補うし、
会社が失敗をしても国がいくらか補ってくれることもある。
じゃあ国が失敗したら?

実の所そうした場合に補償をしてくれる保証なんて、どこにもないんですよ

結局、責任を負わされるのは、国民なんです。
でも「民主主義政府は国民の責任」ですから、当然なんですがね。
「政治的活動をしなかった」責任だってありえますよ。「国民の責任」ですから。

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