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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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 行動因子内在説のメモ

   *

  内在説

 人間にとってはあらゆる物が自己を形成する一部となりえる。
 だが、精神にとってそれらは一部ではなく「きっかけ」に過ぎない。
 つまり、新しく植えつけられることはありえず、
  元々それらが内在して何かの拍子に表へと発現するだけである、と。

 ここで重大となるのは、その「内在した因子」は多少のものではないことだ。
 ありとあらゆる可能性と言えるほどまでに、それらは内在している。

 例えば「殺人」という精神が発現するというのは、
  何かしらによって「殺人」という精神を植えつけられたのではなく、
  何かしらによって「殺人」という意識を引っ張りあげられた、ということだ。
 もちろん、それらがどの程度の「きっかけ」で発現するかは
  遺伝と幼少から現在に至るまでの経緯によって異なる。

   *

 この説において重要なのは、あらゆる精神状態が「本人」だということにある。
 心神耗弱状態であろうとストックホルム症候群であろうと
  催眠状態であろうとも洗脳状態であろうとも、「本人」には違いない。
 強引な話をすれば、法律でそれらを酌量の余地とするべきでないという説だ。

 しかし「情報の有無」ということを考慮に入れていないため、
  上のメモでは「知らないこと・知っていること」が無視されている。
 知識を入れることによって「因子」が植えつけられるのではないか?
  というような考えを挟める、その程度の残念な話でしかない。
 ただ、その情報に対する部分を保全できれば、そこそこのものかも。

 上のメモで何が言いたいかといえば、例えば「殺人」において
  「殺人」というものに何かしら触れようと触れまいと
  その因子は元々万人の中に存在し、
  発現するのは「きっかけ」が有るからに過ぎないと言うことだ。
 反対に言えば「きっかけ」さえなければ、
  いくらそれに関するものを触れていようとも実行されない。
 むしろ関するものに触れることで
  より真摯に向き合うことができるかもしれない。

 まあ情報に関しては、
  「それを認識することで人を問わず可能性が大きく膨らむ」と考えて、
  乱暴に最初から「無い因子は無い」と考慮してしまえばいいかも。
 危険なのは犯罪などのきっかけだけれども、
  そのきっかけは主に「情報の過多」でなく「必要の不足」から生まれる。
 「方法を知っているからではなく、結果と影響を知らないからだ」ということ。


 あと、方法を知らなくとも新たに見つける人間はいくらでもいうる。
 現代で昔の人々が方法を知らない技術で溢れかえっているのは、
  そうした人間がいるからであり、そうした人間は不可欠と言える。

   *

 ちなみに私は心理学に関してまったく勉強など行っていません。
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