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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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(序の続き)
 私は人間がこうであるべきだという哲学を持たない。それは私が成功者でなく失敗した人間とも言うべき者であり、私が考えたものが良い状態をもたらすとは限らないと考えるからだ。
 だが、修正すべき場所は修正すべき場所として感じることくらいはある。私も感情をもった人間だ。

 私は17歳になったとき、「自心教」という経典を公開している。見た人間はまずいないと思うが。
 そこには17歳になる少年がより良く生きるためにするべきという言葉が21個連ねられている。その自心教も人間のあるべき姿は言及してはおらず、修正すべき場所は何かと考えるための言葉に過ぎない。
 しかし、そこで「人間の原理」はなんであるのかを言及している。
 「人間にとっては、心が全て。自分の心、人の心、心が全てだ。」という言葉は、今現在も変わらずに思う私の哲学だ。この心が全てというものをもっと砕いて言えば、「人生は納得するためにある」という言葉になる。

 全ての人間は自らの心に従って生きている。それは自らの心を納得させるために生きているが、その方法や試みは人によって異なる。それが人間の原理である。
 もしそれを納得できないとしてもそれは納得したくないだけであるという、覆しようのない論理だ。心の数だけ納得の形があり、あるべき姿と呼ばれるものもまた数多に存在する。
 しかしながら、そうしたことを哲学者は認めようとはしないだろう。そんな論理で納得できる人間は少ないからだ。私は哲学者を真理を探求するものではなく、いかに納得するか、納得させるかという人間であると考えている。自分すら納得できない論理などゴミ同然なのだ。答えを求める者であっても、納得できない答えであるならクズのように捨ててしまうのだ。
 だがそれらの行動の理由すらも言い表せてしまうのが「納得するために生きている。」という魔法の言葉である。人間の行動は全てそれで言い表せてしまえる。まるで自分の首を絞めるような行動ですら、その心が納得しようとした行動だと言えるのだ。

 代表例として上げられるものが、宗教。
 あれは「納得するために都合のよい考え方」を植えつけるための装置である。それっぽく装い、それっぽく思わせ、それっぽく納得させてしまおうというもの。それで戦争すら起きるのだから、人間の思い込むという能力は末恐ろしいものだ。
 だが、現代においてより多くの人間が納得するためには宗教が必要である。
 例えば葬儀はよりよく葬るという名目で儀式を行うが、本当に葬る者へ効果があるのかといったものは疑わしいも、生きている人間にとって葬儀は死者との離別を明確にしてくれるし、墓も死者へ告げるための場所として存在してくれる。
 誰かも言っていた。そうしたものは死者のためにあるのではなく、生きている人間のためにあるのだ、と。
 より良く生きるためであれば神や仏もあっていいのだ。だが、そうでない神は必要なのだろうかと思うのである。多くの他者は納得できないのではないだろうか、と。

 また宗教の話でもあるが、幸福は幸福と思うことによって幸福であると感じるのである。不幸と思うからこそ不幸と感じるのであり、むしろ不幸と思うことこそ不幸なのであると。
 ただ宗教においては何かしらの儀式や形式によって幸福や納得などをもたらすが、その儀式や形式を遂行できない場合に不幸や不満を感じる原因になる。しかしそれは宗教に限った話ではなく、宗教はそうした儀式や形式を明確にしているためそれが無いより分かりやすく、むしろそれがない場合どうすれば満足できるのかという悩みを抱えることになってしまいかねない。
 そうした人間は、どう生きればいいかなど勝手に決めればいいことを他者に求めるのである。時には従順に従ってしまい、時には傲慢に反発する。そうした人間のためには哲学や宗教も必要なのである。

 しかし、まっとうに生きられるのならば宗教も哲学も不要である。まっとうに生きられない人間のために、それらは存在するのだから。
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 私の話に説得力を感じ無くともそれは当然のことである。なぜならば私は他者を説得することがないため、そのための意識を持たない。
 説得の意識、という言葉に対して疑問を持つ人もいるかもしれない。

 まず私は人間がもつ認識や意思などをひっくるめて「意識」と呼び、○○の意識といった使い方をする。例えば文章を書く意識と言えば、内容を考えることや文章にすること、言葉や文字を選ぶことなど複数の内容が含まれており、無意識的な、潜在意識的なことまでもその「意識」に含まれている。
 他の例を上げれば、計算の意識が薄い人は計算を行うための認識などが足りず、計算を不得意としているという表現だ。私は文章を書く意識を有しているためにこうした文章を書くことに苦難を感じないが、それは私がある程度文章を読んだり文章を書いたりすることがあるからこそ、そうした意識を有しているのである。(ただし、私は読書などをあまりしないため読んだ文章の量は多くないが。)
 反対に私は人と接することが極めて少ないため、人と円滑に接する意識に欠けている。濃い意識はあくまで経験によって持ちえるものであり、なんでも最初から存在するようなものではないことをここに書いておく。
 また意識にも良い意識の仕方、悪い意識の仕方がある。いわゆる天才と呼ばれるような人間は大抵とても良い意識の仕方が出来ているだろうし、いわゆるバカと呼ばれるような人間は悪い意識の仕方しかできていないのだろう。もちろん、あらゆる分野において優秀であるためには根本的に優秀な潜在意識を含めた意識を持っていなければ困難だが、一分野においてとても優秀な意識を持っていながらその他ではあまりよくない意識しか持てない人というのもありえる。
 人の認識が有限であるように、意識もまた有限なのだから、そうしたことは当然と言える。だが意識の使い方は他者の影響や知識と意思によっていくらでも変えられるため、意識が無いといえども、一切の才能がないというような断定はできない。

 さて、説得の意識についてだが、説得という行為について説明することになる。
 説得とは主に相手へ物事を説(と)き納得してもらうこと、理解してもらうことなどだが、何も特別なことではない。人間社会においては極めて重要な役割を果たしており、ごく当たり前に必要とされるものである。
 例えば体調が悪い時にただ「体調が悪い」と文字を並べても、本当に体調が悪いのだろうか? と思われるだろう。そういたことにおいては事実と証拠を示すことで、説得力を持たせることができる。体調が悪い場合は医師による診断書が一番の証拠となるだろうし、その他にもその人が日常的にどういった態度でいるかも説得力に影響を与える。仮病を常習的に使っている人の「体調が悪い」は狼少年のように説得力の欠片もないだろうが、目に見えた体調の悪さをおしてでも出てくる人の「体調が悪い」は重く説得力を感じさせるだろう。
 しかし体調が悪いというような証拠の有無が明確なものであれば、そうした証拠などによって相手を説得することもできるが、そうした証拠がない場合は言動によって相手を説得させることになる。極端な例として、相手を騙す詐欺は根拠のないものをあたかも根拠があるもののように装わせ、相手を説得し騙してしまうものである。と言っても、そうしたものに騙されるのは元々そうした知識を持たない者たちだが。
 そのようにどうすれば相手を説得できるのか、説得するためにはどうすればいいかを考えられることが説得するための意識である。そして私は説得の意識を持っていない。

 しかしなぜ私が文章を書くのかといえば、理解されるためではない。
 私は私の思考を文章化することによって残すために、文章を書くのである。
 私はあくまで私のために文章を書いているのである。
 といってもGIF動画。5年前からしばらく描いていたもの。
 
 ↑前半 : http://twitvideo.jp/img/display/03iED
 後半途中: http://twitvideo.jp/img/display/03iEG

 絵や流れのつたなさはわかるけど、それよりも目を見張る動き。
 緩急のついた動きではないものの、グリグリと動くそのさま。
  今の僕にはとても真似できない気がする。

 結局物語に収拾がつかず、途中のままだけど。
 今まともに続きを作れる気もしない。

   *

 動画を作るときに大切なのは、動きへの意識。
 また動きのためには手を抜かないことだと思う。
 そのためにも見描想。
 ニコニコでプレミアムになったので動画をちょくちょく上げてます。









   *

 日課幽香が200日ちょっとを経過。
 いい加減ネタ切れだよ。って50枚もいかないうちもそんなこと思ってた気がする。


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