忍者ブログ
20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
[21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 そう言えば、中二(病)のころは深夜便の話(*小説)を毎日のように書いてた気がする。
 思春期特有の想像力の豊かさなのかな。

 ただその頃はいろんな物語を見ていた気がする。
 ウェブサイトとか回ったり、ゲームをやったりして。
 そこから情報を入手し、創作の源泉にしていたような。

 最近は物語へ触れることすら少ない気がする。
 いや、全く触れていないわけではないけど。
 昔のような創作の豊かさが懐かしい。

 と言うわけで、読み終わっていなかったアンデルセン童話集を流し見よう。
 でも正直漫画系の方が読むのが早いから、文章(*小説)はわずらわしい。
PR
 本を読んでいて思ったのが、第一に「私には当てはまらない」ということ。
 ただ似たような状態の記憶はあるが、数例に過ぎない。

  *

 次に、それらの症状がまるで「機械に自我を与えたような状態」に思えること。
 単純に従順だとかという意味ではない。

 まず機械、コンピューターは「プログラム」以外のことを行うことが困難である。
 もし機械として自我を持った場合、プログラム以外の事を理解しないし、
  プログラムに当てはまらないことや急な変更を本能的に嫌うだろう、と。
 そして、その時の伝え方はコンピューターではなく生物としての動作。
 容易に新しい命令を認識できるのであれば、
  動作のプログラムだけなら徐々に変えていくことはできる。
 環境から必要と思う情報を読み取っていき、
  自らの「プログラム」にそって生きることになるが
  最初は自我以外真っ白の状態である。

 フィーリングなどもそれ用のプログラムを作らなければ通じないから、
  そのプログラムが無い場合それがどういう状態なのかを理解できない。
 もちろん自我として意識を有しているため、喜びもすれば苦しみもするが、
  その状態がなんであるのかを理解する為にはプログラムが必要となる。
 少なくとも好きなことをしたいという意思は持っている。

 人間として必要なことのプログラムが無ければそれを守れないが、
  反対に言えば、必要なプログラムさえあればそれを誠実に守ろうとする。
 ただし、最初から素直で従順であるかといえばもちろん別で、
  それが必要だと言う意識(プログラム)が無ければ従順であることもできない。
 そして、プログラムを入れられるかどうかは、
  周りが誠実にその人を想わなければとても困難である。

 認識において機械のような正確さを持ちやすいが、
  反面ノイズの除去や情報の選択などに難を持っており、
  想像などによって状態を補完する能力には欠けてしまう。
 状態の度合いによってその強さは異なるが、
  それが強すぎるとプログラムの習得にも支障が生じる。
 そうでなくともプログラムを習得するには、一般的に使われているような
  あいまいな表現やあやふやな言葉でなく、具体的な言葉でなければならない。

 可能な限り、
  社会において必要なことを身に付けられるよう補助してやらなければ、
  いつまでも社会において生きることが困難のままになる。

   *

 という風に、その本から私は感じた。

 こうした想像力だとかがあるんだからスペクトラムには入ってないと想いたい。
 ただそれに似た性質をわずかながら有している点は否定できない。
 二十日に遠いのになにか二十日病に近い感覚。
 ただ人の主張を見るといつもなる状態。

 だから、私は人の主張を不用意に見ちゃいけないんだってば。
 あーもう。
 久しく命の危険を感じる夢を見た。
 今回は新しい感じだった。
 を読みはじめた。いわゆる自閉やらアスペルガーやらのこと。
  まだちょっとしか読んでないけど。
 過去を思い出して、わずかながら適合する点があるていど。ほんとにわずか。

 私の状態が正常と言うのは無理があるけど、
  それがそうであるかは私に判断できることじゃない。

   *

 ちなみに私なりにそれを表現すると
  「生まれた時から意識が無意識に偏重している状態」です。
 
 自閉症やアスペルガー症候群について私の知ったことを表現すると、
 「生まれつき意識が特定のことに対して偏重しやすく
   順応するように意識を制御していくことが困難な状態」
 反対にいえば「意識を無意識に特定の対象へと向ける状態」であり、
  私のいう天才の概念(無意識にそれに対する意識を持てること)の基礎に近い。

 それらの症状を、必ず損害を与えるものだとイコールで結ぶことは厳禁。
 それが他者に損害を与えない思想意思であれば問題ないが、
  損害を与えうるものの場合より早期に療育することが望ましいていど。


 周りが困るからって障害扱いされるけど、「劣悪」と言い切るのは論外。
 むしろ、そうした「劣悪」と短絡的に思考するほうが劣悪じゃないかなぁ、と。
 そうした「順応するがゆえ、常に表層・現状しか見ることができない状態」なんて。

 ただ「社会」で暮らすには相応のことをしてあげないと、危ない。

   *
 05/02追記
 私の想像だが、
 もしかしたら「より脳が情報を制限なく精確に処理しようとするため、
  入れる容量が大きすぎて意識を占有してしまい、弊害を起こしている」ような。
 スペクトラムの原因は「認識の正確さ」と「意識容量の限界」で説明がつくかもしれない。

 もっと言えば、そこにおける知能障害というのは、
「処理情報を無意識に制限してしまう能力が乏しいため扱える情報の数が少なすぎる」
  という状態ではないだろうか。
 反対に通常の人は
「処理情報を無意識に制限してしまう能力があり、情報を複数扱うことができる」のではと。
 そう考えた場合、無意識下の情報処理能力の高低が症状の軽重とできる。

 まあ単なる私の想像だが。

 昔を思い出すと、まだまだ適合する部分があったりして、なんだかなぁと思う。


忍者ブログ [PR]
P R
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新コメント
[05/17 菅原Andil]
[05/16 菅原Andil]
[03/20 菅原Andil]
[03/19 菅原Andil]
最新記事
(10/12)
(09/16)
(09/06)
(07/04)
(06/01)
プロフィール
HN:
Andil.dimerk
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1991/03/02
ブログ内検索
カウンター