20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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まとめ
「芸術の価値はそれそのものによって決まるものでない。人に認められること、その為の行動を伴わなければ価値など生まれえない。芸術の価値を決めるのは人であり、自身ではない。 価値を求めるのならば、人に求められるようにならなければならない。求められればなんであっても価値を持つのだから。」 「芸術の価値は~」の話は「認められたければその為の行動をすればいい」ということ。「認められないのは認められるための行動をできていないだけ」という考え方。例えば芸術であればただ作品を作るだけが認められるための行動じゃない。もし商売が上手ければ、くだらない芸術にも価値が付けられる。 こういうのって芸術学というより経済学とかそっちの方だよね。 それを突詰めると「価値のある作品」と「素晴らしい作品」は必ずしも同じでないということに気づける。素晴らしいものでちゃんと商売すれば「価値のある素晴らしい作品」になりうるけど、商売の行動を怠れば価値は無いし、創作の行動を怠れば良い作品は作りえない。 「社会的価値」と「美術的価値」と「個人的価値」 PR
なついです。あついです。
「ハザマさん? そのバケツ一杯のサイコロは何?」
「このサイコロにまつわる問題だ、テルナ君。」 「はぁ・・・・」 「この1・2・3・4・5・6の面がある6面ダイスで、 一度に1から6まで全ての数字を出すために必要な最低限の数は?」 「確率を無視しているなら6面で6個でしょ。確率は1%とかだけど。」 「では【確実に】1から6を出す場合の必要な数は?」 「沢山。」 「あっはは。そっけないねぇ。」 「どうせ100%はありえないでしょ? ほぼ100%はできてもさ。」 「まあその通りだけど。」 「それで何の話?」 「では、600個のサイコロを一度に転がし、 1・2・3・4・5・6の組み合わせをまとめたとき、 組み合わせた数と組み合わなかった数のどちらが多くなりやすい?」 「・・・・組み合わせた数?」 「さてどちらかな。」
技法書はものにも寄るが見描想においてかなり役に立つ。
大抵それらは「見る」と「描く」を行わせることを前提とし、 ものによっては「想う」ということも促してくれる。
行動因子内在説のメモ
* 内在説 人間にとってはあらゆる物が自己を形成する一部となりえる。 だが、精神にとってそれらは一部ではなく「きっかけ」に過ぎない。 つまり、新しく植えつけられることはありえず、 元々それらが内在して何かの拍子に表へと発現するだけである、と。 ここで重大となるのは、その「内在した因子」は多少のものではないことだ。 ありとあらゆる可能性と言えるほどまでに、それらは内在している。 例えば「殺人」という精神が発現するというのは、 何かしらによって「殺人」という精神を植えつけられたのではなく、 何かしらによって「殺人」という意識を引っ張りあげられた、ということだ。 もちろん、それらがどの程度の「きっかけ」で発現するかは 遺伝と幼少から現在に至るまでの経緯によって異なる。 * この説において重要なのは、あらゆる精神状態が「本人」だということにある。 心神耗弱状態であろうとストックホルム症候群であろうと 催眠状態であろうとも洗脳状態であろうとも、「本人」には違いない。 強引な話をすれば、法律でそれらを酌量の余地とするべきでないという説だ。 しかし「情報の有無」ということを考慮に入れていないため、 上のメモでは「知らないこと・知っていること」が無視されている。 知識を入れることによって「因子」が植えつけられるのではないか? というような考えを挟める、その程度の残念な話でしかない。 ただ、その情報に対する部分を保全できれば、そこそこのものかも。 上のメモで何が言いたいかといえば、例えば「殺人」において 「殺人」というものに何かしら触れようと触れまいと その因子は元々万人の中に存在し、 発現するのは「きっかけ」が有るからに過ぎないと言うことだ。 反対に言えば「きっかけ」さえなければ、 いくらそれに関するものを触れていようとも実行されない。 むしろ関するものに触れることで より真摯に向き合うことができるかもしれない。 まあ情報に関しては、 「それを認識することで人を問わず可能性が大きく膨らむ」と考えて、 乱暴に最初から「無い因子は無い」と考慮してしまえばいいかも。 危険なのは犯罪などのきっかけだけれども、 そのきっかけは主に「情報の過多」でなく「必要の不足」から生まれる。 「方法を知っているからではなく、結果と影響を知らないからだ」ということ。 あと、方法を知らなくとも新たに見つける人間はいくらでもいうる。 現代で昔の人々が方法を知らない技術で溢れかえっているのは、 そうした人間がいるからであり、そうした人間は不可欠と言える。 * ちなみに私は心理学に関してまったく勉強など行っていません。 |
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