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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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 やすくにじんじゃへいってまいりました。
 はなみしーずんですが、やたいそっちのけ。

 で、そのつぎにははうえがいぜんすんでいたというたいしかんをみました。
 しようにんみたいなかんじだったそうです。

 そのあとこっかいぎじどうのちかくにいって、ぎじどうをいっしゅうしました。
 そらがひろかったです。

 さいごにとうきょうえきでおり、ほんやさんをにけんまわって、かえってきました。
 でんしゃよいがのこっていたり、あんまりたいちょうはよくありません。

 あ、こっかいぎじどうのまえにかがくぎじゅつかん、だっけか、そこにいきました。
 たのしかったです。

 よったほんやさんではほんをかおうかどうかとまよいつつなやみつつ、けっきょくかいませんでした。
 こうかいしてます。どうでもいいです。

 ちなみに、さいきんはさんけいしんぶんをかっています。
 さんけいしんぶんです、さんけいしんぶん。
 がんばれさんけいしんぶん。
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 「どこに、だれに投票するかは自由だけど、投票する人や党のことくらい自分でも調べないと、失礼だよね。」
 という、言い回しを度々使う。
 ちなみに、失礼と言うのは、支持される相手ばかりでなく、他の国民に対しても、だ。

 今の時代、パソコンを使えばとても多くの情報が手に入る。
 もちろん、それが正しい情報であるかどうかに疑問を持つ事は大切だが、かといって新聞やTV、また書籍が絶対的に正しいかどうかと、そちらも疑問視しなければならない事を忘れてはならない。
 誰か、特定の政治家を批判する場合もまた、よく知った上でなければ失礼だ。

 ボーっと眺めるTVや新聞程度の情報で、全ては知りえない。
 特に日本の新聞TVといったメディアの情報は、あまりにも少なく、また偏っていることを知らなければ、全てを知った気になるのだろうが。
 疑心を欠いては、民主主義もあまりに脆く崩れうる。

   *

 思想の話、私は疑心と許容を信仰している。

 それは常に、「なぜ」という疑問を持ち、また自分に対してもそれが本当に正しいのか、などという疑念を持つこと。
 また、まず些細な事であれば軽く流し、多少苦になることであっても受け入れ、本当に拒絶すべきこと以外、過度の拒絶をしないよう、心がけること。
 もちろん、それを本当に拒絶しないでいいのか、また拒絶するべきなのか、といったことを考えることは大切だ。

 私は、民主主義が疑心と許容によって成り立っているとすら考える。

   *

 「もし、その集団のトップが、他の集団にその主権を移譲するという決定をした場合、集団に自由がなければその主権を取り戻すことはあまりに難い。
  トップを決める、ということは特に慎重でなければならず、試しに、などという軽々しい気持ちで行っては集団が滅びうる。

  いや、すぐに滅びればまだ可愛いもの。
  主権が渡れば、奴隷のように搾取されつづける、なんていうことすら起こりうる。」
 私は移り気な所と、妙に凝り性のところがあります。
 あれです、基本移り気ですが、はまると凝っていく感じ。

   *

 最近、Elonaをやっています。
 それも、Ver0.975の旧バージョン。

 ニコニコの実況プレイなどを聞きながらやって、充電中。
 充電中、ということにしておいて。
 「心、感情と言ったものは、保護されるべきものなだけであって、絶対の法ではない。」

 前例が出来れば、法を逸脱したことは際限無く行われうる。
 なぜ、私が絵の三原則として[見る][描く][想う]と言うのか。
 それは、私にそれらが欠如していると自覚している為である。

 特に[よく見ること]や[沢山描くこと]はプロでも言うことだが、そこに私は[良さを想う]ことを入れた。
 [良さを想う]と言うのは、恐らくプロが息をするようにしていることだろう。

 絵を描く上で、何がすきなのか、何が描きたいのか、どう描きたいのか、どう描くのか。
 その他、様々なことを、想うこと。

 私は、私の絵をつまらないと自覚している。面白みに欠ける。
 何が良いのかと言えば、体のバランスなどが少し良い程度。そこに[デザイン]が無い。

 もちろん、私は見ることや描くことも欠如している。
 もっともっと、沢山のものを見て、描いて、想わなければ、絵は面白くない。

   *

 見ることは、想う為に様々なものや絵などを見たりする為にも、描く為にちゃんと描けているかを確認したりする為にも、不可欠である。
 また描くというのは、作品を描くことの他、思い通りの線や色が描く為の練習も含まれている。

 それらが欠けていては、いくら想っても絵は崩れてしまう。
 でも、ちゃんと想っている絵は、崩れても人を惹きつけうると私は考えている。
 何より、私の想いの無い絵が、人を惹きつけないからである。


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