20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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「私は、私の言葉の実現者ではない。
加えて、私は成功者であるはずもない。 よって私の言葉に、社会的な根拠などない。」 PR
たまーに、こうやって文字ばかり書きたくなってしまう時がある。
絵描きたい。 それよりも眠い。 * 「隠者の群れが、峠を越えてやってくる。 古よりの開聞は、左の箸をついばみ、へし折る。 逆さに吊るされた魚の群れが、踊り走る。 されど日陰に憚(はばか)る命の木は、白い灯火となる。 あのさざなみの断末魔は、遥かペテルギウスまで届こう。」 * ゴメン、意味分からない。 * 「遠方の支配者が口をそろえて叫ぶだろう。 救いの主が現れた、断罪の時だ! 死にえの時だ! そして、儚き主を殺すだろう。 救いがたき支配者たちは、その行いによって滅ぶ。 民の手で。」
私がこのような思考になったのは、豊かである日本に生まれたからで、
また私がこのような思考をできたのは、まず自身を顧みるような民族に生まれたからか。 とりあえず、私が極端に思ってしまうこととしては、 「自らを顧みないような人間は、人として間違っている。」 まあ、それらにおいて何が間違いかなんて分からないことです。 ただ、間違えやすい、という事はありうるんじゃないかな、とは思う。 私は、疑心と許容を信仰している。 * ☆死☆に☆た☆い☆ とかちょっと思ったりするけど、別に死ねないのが自分。 どんなに死のうと思っても、死ぬことはない。臆病な小心者だから、死ぬことはない。 だから、受け入れないといけない。 拒絶することすら拒絶しようとする以上、受け入れなければいけない。
「もし、私が私で無い誰かに生まれたとしたら、
それは私でない、別のだれかだ。」 そう私は思っている。 私は、今の私に他ならず、それ以外の誰でも無い。 もし私のその他の可能性があったとしても、 それは私ではない私に似た誰かでしかない、と。 今の自分を最良であると思えるならば、そう思えるだろうと思う人もいるだろう。 しかし、私は今の自分に満足を感じるからこそ、そう思っている。 それでも、私は今の自分を最良などとは思ってはいない。 * 私は血、と言うものの人格に及ぼす影響は強いものだと思っている。 なので、まして他の両親から生まれたとしても、私ではない。 もし魂というものが存在し、私の魂が他の誰かに存在していたと仮定しても、それは私ではない。 別の、誰かだ。 だが、もし私と同様の考えを持つのであれば、それは同じ事を考えなければならなくなる。 つまり、私はその誰かにとって、誰かであり、その誰かはその人自身である、と。 * まあ、落ちこぼれた人間だけどさ。 この頭の中の情報を持っていることを、とても幸せに思う。 私という人間であることが、この上なく幸せに思う。
分かってる。
正確、間違っていない言葉よりも、心を動かす言葉の方が正しいと想われることを。 人間に必要なのは、ただ正確な情報じゃない。 人間の、その心を動かす情報。 正確な情報から、人を動かす言葉を考える。 どうすればその正確な情報へと動いていくれるか。 * 例えば、運命は自分で切り開くものだ、っていう言葉。 運命は変わらない、と思うよりも、そっちの方がやる気も出るでしょう? 正確か、間違っているかは別にして、少なくとも前者の方が人のためになる、 |
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