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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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□最近読んだ本、「The Grimoire of Marisa(グリモワール オブ マリサ)」のレビュー
■■■■■
□東方Projectの副主人公な脇役、霧雨魔理沙の著書である(という設定の)、弾幕本。
□東方における、弾幕の形、そして有り様が書かれた攻略本とはいえない、弾幕本。
□その為、東方Projectのゲームをプレイした人しかあまり楽しめない、弾幕本である。

□言ってしまえば、攻略本と言うより、設定資料集に近い。

□この本は最初に「ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである」と書き、節々で、殺し合いでなく遊びであることや、弾幕ごっこにおける遊びの重要性を語っている。
□反対に言えば、本気で殺すのであれば弾幕などというややこしい方法などとらず、相手だけを狙い、確実にしとめるような一撃必殺である方が効率的である、とも言えるように。

□そのことは「弾幕ごっこができないものであってはいけない」と言っているようにも見える。「避けられる」からこそのスペルカードルールであり、それらを極端に言ってしまえば「東方Projectは難しいものではない」ともとれる。
□□もっと言えば「極端に困難なものであってはいけない」と。
□例えば、使われていた弾幕も極端に難しいものだと「今は禁じ手である」とすら書かれている。
( と言っても、使われていた作品は弾幕を撮り、「弾幕を消す」ことを基本としていた為、元々の弾幕ごっことは異なり、クリアも容易らしい。あと「本当に」禁じ手かは不明。 )

□「ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである」
□スペルカードルールが弾幕ごっこ、ただの遊びであると言うのは他でもたびたび記述されているが、公式で、ここまで直接的に書かれているのを見たのは初めてだ。
□これは設定でもあり、またZUN氏のスタンスといえるものかもしれない。

□と、ここまで無駄に考えた話。

□読み物、としては冒頭に書いたように、弾幕のことをほぼ一人称視点で書き連ねてるだけであり、冒頭に書いたように設定資料集に近く、それだけで楽しむ、と言うのは難しいかもしれない。
□よく知っている人であれば、そこそこ楽しめるかもしれない、程度か。
□小ネタをちょこちょこはさんであったり、魔理沙の性格が出ていたりと、楽しいといえば楽しい。
□□他では書かれていなかった設定がしれっと書いてあったり、など。
( でも、他の書籍同様、あくまで「魔理沙が書いた」というだけの設定で、真実かは別、とも言える。 )

□ものによっては相手の性格も描写されていたり、あとそれぞれのキャラにつけられた紋章だとかがきれいだったり、楽しめる人は楽しめる本。

□ただし、楽しめない人には意味の分からない本。

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 覚醒状態であり、かつ正常な意識を有しているにも関わらず、その意識に繊細さがみられないことはある。
今の私の状態では、文字を打つという意識以外、ハッキリとせず様々な意識が混ざり合ってわけの分からない状態になっている。
この状態では何をするにも中途半端になってしまいがちで、上手く集中することすら困難である。

勉強しないとー。
 例えば、愛玩動物の犬。報道や教育において「犬が危険極まりないもの」だと民衆へ伝えれば、政府において犬を駆逐することは民衆に認められる。政府が、報道や教育を制御していようとも、民衆がそれに気づくことは無く、犬を保護するものは一部の人間たちだけだろう。
しかし、そこに必要なのは政府の改心や物事の正しさではなく、何よりも民衆の冷静さである。

冷静さを失い、盲目的になっているにも関わらず、それを理性的で冷静な判断だと誤解することほど、恐ろしいことはない。
感情のみによって、善悪を決めることほど、凶悪なものはない。
 ■人の話し声と効率■
私は以前、わふんさんのラジオ+動画制作の場景画像を見ながら、サクサクと動画を描いていた記憶がある。
それもその時では考えられないほどの技量を発揮していた。馬鹿じゃないかと思うくらい。

今日、スティッカムを見ながら動画制作をして、「他者の描画を見る+他者の音声を聞く」という行為によって、集中力と描画速度が極めて向上することを自覚した。
と言っても、最中の自覚というよりは、思い返せばすごかったな、という感じ。

ただ、思えば音楽を聴く、という行為によってもそれらの向上を確認することはできている。
また「他者の描画を見る」というのは、絵チャットでも出来るが、実の所それほどの向上を確認はしていない。
となると「音を聞く」というところに、集中力の鍵が眠っていると予想することができる。
もちろん、「他者の描画を見る」という行為によって、「意欲の促進」をはかれるとも考えられる。

他者の音声も誰でもいいわけでなく、心地良いと感じる相手で無ければ興も削がれ、話が聞いていて耳障りであれば集中どころでもなくなる。
脳関連の説では、絵を描画する際に言語を耳にするのは控えるべきと言われているが、私の場合言語を耳にすることによって、私自身の言語思考を停止させられると考えている。今文字を打ち込んでいるように、私は言語思考がなかなか止まらない人間であるからだ。
しかしそこは、言語の無い、また分からない音楽であっても集中を行うことは可能であり、どの程度の差があるかは無自覚である。

一つ注目したいことは、「他者の描画を見る+他者の音声を聞く」の状態で「動画制作を行う」ことがスムーズに進んでいくということ。
1つ思うことは、他者の描画を見る、と言っても動画ではなく「定期的な画像」であり、見続けるものでないこと。そして、話というものはいくつか区切りを持ち、淡々とは進んでいかず、不確定的である。前者はある意味「動画」への連想を行えること、後者は「想像するもの」を多様にするものではないだろうか。


・・・・とりあえず、眠いのでどうでもいいや。


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