20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なーん。
PR
私は人との交流が極めて少ない。
昔、こんな事を言ったことがある。 「かけられる言葉が100あれば、そんな言葉が1つ2つ合っても、100分のちょっと。 けれど、かけられる言葉がそれ以外に無ければ、そんな言葉でも100%なんです。」 原文は覚えていないので、あくまでもこんな感じのこと。 * そんなことを思い出したのは「見た量」のことを思って。 例えば「○○が一番良い」という人は、そのジャンルに関してよく知っているのだろうか、という話。 多くの作品と比べて、それが良いという結果に落ち着いたのか、 それとも数少ない作品の中から選んだ一つでしかないか。 100の、1000の、10000の作品の中から厳選したのか、 それとも目に付いたそれを選んだだけなのではないか、という話だ。 極端な話、本当にそれが良いのかどうかを考えたことはあるのか、だ。 ただ一目見て思ったことだけで、判断しているのではないか、と。 もちろんこれは、「○○はダメだ」という話にも通ずる。 * 私は「人の主張を見る量」が極端に少ない為、反射的にこうした事を考える。 頭を悩ませ、意識を集中させすぎ、平常でいられない。 正直私にとって、それらと関わることは 「好奇心から3メートルの高さから自ら飛び降りる」ようなものである。 ただの馬鹿だ。
>見る
花を見たこともないのに、花のイメージをすることはできない。 人は間違うものであり、その修正には気を使わなければならない。 >描く 丸を綺麗に描けた所で思い通りには描けないが、思い通りが描けるなら丸は綺麗に描ける。 思い通りに描けないのなら、思い通りに描けるまで意識し、描くこと。 >想う 一切のイメージもなく、一切の思慮もなく、作品を作ることは難しい。 そして、何が好きなのか。 * ただし 絵の為であれば、絵以外の意識は一切意味を成さない。 言葉さえも。私さえも。
腸の調子が悪くなって三週間ほど。
いまさら腸の為に固形物を食べない生活をしてる。 なおるかなぁ。
タイムスリップなどを扱う作品は、ほとんど例外なく世界に「時間表」が存在する。
例えば一口に「過去へ行く」と言っても、 「過去という場所」が存在しなければそこへ「行くこと」はできないのである。 つまり「その世界に過去の世界が存在する」必要があるのだ。 では、現実世界において過去が存在するか? 現時点では残念ながら、有無の証明をすることはできない。 簡単に言ってしまえば、人間の過去というのはあくまでも「記録」でしかない。 人間が「過去は存在する」というように覚えているのは、「過去を覚えているから」にすぎず、 あくまでも「経過を記憶から予測している」に過ぎない。 もっと別の言い方をすれば、「世界の時間軸」は見つかっていないし、 まして「世界の時間表」の証明などできないのである。 ( 分かりやすく言えば、時間が存在するかどうか? という話 ) ( 経過から~の話の典型は、世界五分前仮説。 ) だが物語において、そうしたタイムスリップを扱いたい場合、「時間表」は必須である。 それが無ければ「その世界に過去の世界が存在しない」ため、 新しい定義を作らなければ、その物語として成立しないのだから。 ちなみに、その「時間表」が絶対なものである場合や、 絶対なものでなければならない場合などは、何かしらの意思が存在することになる。 まあ運命であったり、守護者によって護られていたり、作者が諦めていたり、様々だが。 時間表が絶対でない場合でも、タイムパラドックスなどの問題は抱えやすく、 それらをどう掻い潜るかという感じに、様々な創作がなされてきたほどだ。 * ただし空想はあくまで空想である。 だがロマンはやはりロマンである。 |
P R
カレンダー
カテゴリー
ブログ内検索
カウンター
|