20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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はっはは。
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わー。
自信がない。
スポーツのプロ選手は全く体を動かさないような日があると、再び元の感覚を取り戻すのには時間がかかってしまうらしい。
思い通りに体を動かすためには、毎日のように身体と感覚の調整を行う必要があり、それを怠ると再調整に時間が掛かってしまうということである。 人間の体は常に変化し続けているため一日たりとも全く同じ日は無く、調整を行わなければ思い通りに身体を動かすことすら難しいのだ。 無意識に調整を行っているような日常動作では多少の違いを認識することすらできないが、プロ選手では多少の違いが結果に大きく出てしまうこともありうる。 もちろん体で覚えるというぐらい意識もせずに動作の基本ができるのならば、多少のブランクもすぐ取り戻せるが。 また直前の準備運動なども単に怪我をしないためだけでなく、体の感覚を調整しより思い通りに体を動かせるようにするためでもある。 これは絵などにおいても同様のことが言え、特に「思い通りに描く」という点では顕著に現れる。 毎日感覚を調整していかなければ「感覚のズレ」が思い通りに描くことを阻害するし、準備運動もせずに描けば「感覚のズレ」が現れてしまいやすい。 また、一日一枚程度では感覚を調整することは難しく、可能な限り多くいろんなものを描いて調整することが望ましい。それこそ、できることならば日常動作の一部のような頻度で描くくらい。 * 大抵、数枚適当に描いた後の方が思い通りに描けます。 数枚描くことで感覚を調整できるため、より正確な感覚で描けるというわけ。
人間は悪い時にこそその本質を表す。悪い時にこそその本質を問われる、とも。
分かりやすくいえば、悪いときにすることこそその人の本質なのですと。 悪いときに何もできなかったら、そこまでの人なのです。 悪いときにただ逃げてたら、その程度の人なのです、と。 悪いときであっても、悪いときなりに良くあろうとすること。 例えばプロフェッショナルと呼ばれるような人は、 悪いときには悪くなりすぎないよう抑えられるからのプロである、と。 * 芸術で言えば、体調の悪いときにしかできない表現を探すようなことも含まれる。 「悪い状態」も含めての「自分」であって、 「悪い状態」が「自分」でないということは、わがままである。 もちろん「信念によるわがまま」であれば言うこともないけど、 ただ否定したいがために否定することは、甘えでしかない。 |
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