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20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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  【対人というもの】
 彼はこう書いた。

───社会で正常な暮らしのできないような身体の状態は障害と呼ばれるのに、社会において最も正常な暮らしを妨げる対人能力の欠如は障害でなく、不適応と呼ばれる。まるで対人能力は生まれる前から備わり、それが維持できて当然というような物言いだ。
───精神は考え方でどうにでもなるが、その考え方はできないのが人間として当然だ。ましてそのような考え方すら知らない人間にとって、それらを覆せということは泳ぎというものを知らずに川を渡れと言われているような、無理難題なのである。

───人間社会は人によって構成されている。人を動かす能力こそ、人間社会における最大の能力である。政治家から子供と大小あれど、人を動かす能力がなければ人間社会において暮らすことは無理である。政治家は人を動かせるからこそその位置におり、子供は親や周りを動かせるからこそ生きていることができる。
───単純な話、お金は最も簡単に人を動かせる道具であるし、それが無ければ住むところにすら困る。

───だがそんなお金を得るためにも、相応人を動かすことが必要になる。仕事というのは人に動かされるだけでなく、人に動かしてもらっているのであり、人を動かさないというのは独りであること以外にない。
───つまり対人能力の欠如とは、そうした人を動かすということ、人に動かされるということを円滑におこなう能力の欠如だ。人間社会における本当の弱者とは、そうした対人能力を持たない者のことである。
───明確な障害を持っていれば、それだけで人を動かすこともできるが、対人能力の欠如は人を動かすことも人に動かされることも妨げてしまう。

───対人能力が当たり前に身につくものだと思っているのならば、対人能力は最初から決まっているものだと思っているならば、対人能力を身に付けられないと思っているのならば、それらの幻想はすぐに捨てるべきだ。
───誰もが持ちえる能力であるが、誰もが持っている能力ではない。そして、持っていなければ、救われることすらできない。身につけなければならない能力である。


 彼は、どうだったのだろうか。
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