忍者ブログ
20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
[11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 結局いくら長く続けていたとしても、意識に変化がなければ成長も乏しいのだ。
 反対にいくら短期間であろうと、意識が適切に変化すれば劇的な成長もありうる。


 例えばスポーツで言う監督なりコーチなりは、意識の変化を促す存在である。
 悪い意識の仕方から、良い意識の仕方に導く役目を持っているとも言える。

 もちろん意識を単純に変えたからといって、成長するわけではない。
PR
アレ。pixivのキャプションの話。
アレに何にも書いてない人がいるけど、あれって2通りの理由があると思うんだ。
1つは効果としてのキャプションに文字を不要とした場合。
もう1つは別にキャプションとして書くことが浮かばない場合。
キャプションを、必要として空白にすることと不要として空白にすることの違い。
キャプションを作品の一部と捉えているか、キャプションに興味がないのか、みたいな違い。
「少なくとも、行動が無くてはなにもできない。」
 少なくとも、「我(※が:ここでは自己意識・自らが自らであるための意識をさす)」が弱ければ「意志」は弱くなりやすい。欲求自体が弱いのだから、強くなりえないとも言える。
 しかし「我」が強くとも、「意志」が強いということにはならない。分かりやすく言えば「意識」だけあって「行動」が無い状態は、起こりうる。最近の若者にありがちらしい「俺は何か凄いことやるよ」と言いつつ何の計画性もないような状態は、まさに「意識」だけあって「行動」がない状態である。
 つまり、「我」の為に能動的な行動を起こす意志を持っているかどうかだ。
 ただ最低限の半受動的な行動(常識の意識などによる惰性的な行動)しかせず、能動的な行動の伴わない様は、「我」が強いとも言いづらいものだが。他(※た:ここでは他の人間・他の存在・自身でない全てを含む)によって自己意識がいつか満たされると思ってしまっていては、(極端な例えとしては自己が満たされないのは他のあらゆる障害が存在するからという認識など)何もしないのは当然だが。
( そうした人間はあろうがなかろうが、大抵自身の能力をよく知らない。 )

 「我」が強く「意志」が強いことというのは、表面的に「自らの為にあらゆる障害をかえりみず、あらゆる行動をいとわないさま」である。意志は行動でのみ示せるものである。あらゆる想いは行動以外に表現の方法を持たないのだから。


   *

 なんか違う。
 空気の悪い部屋にいると、咳が出てくる。
 どうしようもないくらい弱いなわたし。


忍者ブログ [PR]
P R
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新コメント
[05/17 菅原Andil]
[05/16 菅原Andil]
[03/20 菅原Andil]
[03/19 菅原Andil]
最新記事
(10/12)
(09/16)
(09/06)
(07/04)
(06/01)
プロフィール
HN:
Andil.dimerk
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1991/03/02
ブログ内検索
カウンター