20090306から 日常メモ用とか ■日常に思ったことを、メモしていきます。 ■疑心と許容を信仰しています。 ■正しい保障なんて無い。 ■正確さより、人の心を動かすものがあるのも知っています。 ■あと、空想旅行、深夜便.夢旅行とかなんとか。
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はしかの予防接種へと行ってきた。
ちなみに言ったきたのは、小児科。18歳の青年が小児科。 それらは別にいいとして、私は注射器を受ける時、奇妙な感情がこみ上げる。 「思わず笑いがこみ上げてくる」のだ。 もちろん、その笑いは抑えるが、なぜか笑いがこみ上げてくる。 そのことを母に言うと、どうやら子供のころからそうだったらしい。 なんでも私に加え兄二人も、注射を受ける時、 恐怖より好奇心のようなものが上回っていたようで、 周りの子供達がなぜ泣いているのか分からないような感じだったたらしい。 実際注射を受ける時も、無くどころかニヤニヤして、 「これから遊んでくれるの?」 みたいな表情をしていたらしい。 おかげでそれらのことで手間はかからなかったとのこと。 そうした感情は、今も残っているらしい。 ちなみに、注射を受ける際などは筋肉を緩めているほうが痛みは少ない。 筋肉が緊張していると、それだけ痛みやすく手間も掛かってしまいやすいとかなんとか。 あとしっかりとした医師や看護士さんなどであれば、上手く注射をして痛みも少ないらしい。 * 私は肉体、主に筋肉や骨に関してはしっかりとしている方だ。 ろくに運動をしていないにしても。 しかし、内臓や神経といった類は弱い。 と言うか、運動不足もたたっているのだろうが。 今回、予防接種の中でも特に強いというものを受けた、という事を聞かされたからか、 今、体調が悪い。 プラシーボなのかどうかは分からないが、だるい、眠い。 でも、そこそこ意識はあるので、大丈夫、といえば大丈夫だろう。 PR
病気が怖いからと言って、全ての人々を無菌室に閉じ込めるようなことをしてはいけない。
差別が怖いからと言って、全ての言葉に対して制限を課すようであってはならない。 心は保護すべき対象であるが、絶対の法ではない。
よく知りもせずに、ダメだなどという人間は、何を見ているのだろうか。
よく知らなければ、そしてそれらを整理しなければ、よい判断はできない。 にも関わらず、よく知ろうともせず、判断をする人間は、何を見ているのだろうか。 * 必要なのは知識である。 昔は学校や図書館に行かなければ知識は少なかった。 だが、今はインターネットという情報の海、知識の宝庫がある。 学が無いからといって、知識が無いとは限らない時代となったのだろう。
1991年 平成3年3月2日 午後7時13分
才能という言葉を意識に、と言うことは言うが、反対も考えてみる。
私はこうした文章を書こうと思うことが多い。 即ち私は文章を書くという意識が強いわけだ。 ということは、私は文章を書くことの才能を有している、という事になるのか。 残念ながら基礎は有していても、技術を有していない場合もある、って事はわかる。 |
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